ジャパンオープンテニス、錦織圭選手優勝おめでとうございます。
190㎝台の大柄選手の中で、178㎝の錦織選手のフットワークが勝った結果でした。
これで、世界ランキングが15位に上がるようです。
次は、四大大会のファイナリストに是非なってください。
私も、元テニスプレーヤーとして期待してます。
私は高校時代、テニス部に所属していました。
県内でも強豪校でしたので、練習量は多かったですね。
毎日練習終了は、野球部よりも遅かったのを記憶しています。
同学年に、サウスポーが一人いました。
彼の右手は義手でした。
肘から先がありません。
でも、ちゃんとサーブを上から打っていました。
ラケットを握っている左手でボールを掴み、トスを上げる。
そして、オーバースローで打つ
口で言うのは簡単ですが、サービスライン内に入れるのは至難の業です。
山なりでは、相手に強打されます。
その彼を含め、我々の学年は全員ダブルスで県大会に行ってます。
話は変わり、我が母校の運動会は華やかなものでした。
この伝統は今も続いているようです。
全種目対抗戦になっていますので、選ばれた選手は真剣です。
特に、マラソンは運動会の花形です。
テニス部員が各クラス代表として選ばれます。
(私は三段跳びの代表、砂場まで足が入ればOKという理由で選ばれました。)
そして、上位を独占します。
その上位選手の中に彼がいました。
彼は、磐田から電車とバスを乗り継いで学校に通っていました。
自転車通学の私の帰宅が、夏場は9時くらいでしたから、彼は更に遅かったと思います。
練習も試合も私達と同じようにしていますし、特別扱いはしていません。
というか、彼が障害者というのは、皆、意識していませんでした。
彼は明るい性格で、よく冗談言ったりして、ダブルスパートナーをいじくっていました。
その彼は現役で東大に入学し、大学の教授をしています。
高校卒業後、一度だけ一緒に飲みましたが、OB会に出席が無いので長いことご無沙汰です。
「曽根君、たまにはOB会に顔を出して一緒に飲もう」
錦織選手の優勝で、昔の事を思い出した不動産職人でした。